生きることを否定してきた私が、初めて生きていいと希望を持てたあの日の出来事

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今までの私は、ずっと生きづらさを感じていて、生きること否定してきました。

そんな私が、あるきっかけで、人生を変える言葉をもらいました。生まれて初めて、こんな私でも生きていいんだと、希望を感じました。

今でも、それは私の心の支えになっています。

この出来事を書くことで、誰にも理解されず、つらい思いを抱えている人の力になりたい。ブログというインターネット上の文章だけれども、少しでもこの思いが届いてほしい。

そんな願いを込めて、文章をしたためます。

何もかもが限界だったこと

さかのぼること10年前。私は大学を卒業して、プログラマーとして連日深夜まで残業の日々。

徐々に疲れが溜まったのでしょう。持病の喘息の発作がひどくなってきてしまいました。

喘息の発作止めの吸入器をして、しのいでいました。でも、限界でした。

冬の頃だったと思います。

前日から、ありえないほどの咳が続いて、全く息ができない。本当に死んでしまうかと思うほどでした。

翌朝、病院が開く時間まで我慢して、タクシーで地元の内科に行きました。全く歩けなかったので、母に付き添いで来てもらいました。

病院に着くなり、女医さんに

『そんな状態で、何でウチに来たんだ!今すぐ救急車を呼ぶわよ!』

ってすごい剣幕で怒られたようです。

その時の私は、意識を失っていたので、後ほど母から聞いた話です。

気がつくと病院のベットの上。

鼻にチューブと酸素マスク、指先に酸素の値を計測する機械がつけられていました。

呼吸が苦しい。ああ、私、入院したんだ。

その時に初めて分かりました。

きっと、体と心が、無理を重ねて、限界だったんだと思います。

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人生を変えた、あの日の一言

入院して数日、まだ息苦しさを抱えていた時に、ある看護師さんが来てくれました。

その看護師さんは、ただただ優しく、こう言ってくれました。

つらかったね、苦しかったね。と。

本当に、つらそうな顔をしてくれました。同じ目線で話してくれました。

私はびっくりしました。

今まで誰にもそんなことを言ってもらったことがなかったから。

喘息の発作を起こすたびに、母に睨まれて、周りの学校の子たちから避けられていたから。

夫婦仲の悪い家庭で育った私が、結婚して子どもを持った今思うこと

私なんかいらない。でも、死ぬのが怖いから生きていただけ。

そんな思いで、生きて来たあのころ。

きっと、誰にも理解されず、苦しい思いをしてきたことに対する、防御的な反応だったのかもしれません。

それが、あの時、辛さを分かってくれる人が現れた。

たった一言だったけれど、その言葉はこんなにも温かく、こんなにも優しいものだと、初めて知りました。

痛みに共感してもらうこと、心に寄り添ってもらうこと。

人は、痛みに共感してもらうことで、病気は治らなくても、心は確かに癒されていく。

私の中で何かが変わった出来事でした。

それ以降、私は自分のことを認めることができるようになりました。生きづらさが、徐々に薄らいできたんです。

子ども時代につらいことばかりでも、あきらめないで。大人の今の方が圧倒的にしあわせなんだから

あの時の私は、運良く、素敵な看護師さんに恵まれましたが、まだそういう方に出会わずに、つらい思いを抱えている人もいるかもしれません。

病気を抱えて、つらい思いをしている人。そのつらさを、一番身近な家族に理解されず、苦しい思いをしている人。

そういう方は、ぜひ周りを頼ってください。

同じつらさを抱えている人たちを探して、お互いの思いを話すだけでも、きっと心は癒されるはず。

今はインターネットの時代ですから、探せばきっとあります。

もし見つからなければ、私を頼ってください。何か上手いことを言えるわけではないけれど、悩みを聞くこと、思いを共有することは出来ると思います。

それが、あの時助けてもらった私にできる唯一の恩返しだと思っています。

大切なあなたの心の痛みが、きちんと癒えますように。

大切なあなたの人生が、何よりも希望に溢れた未来になりますように。

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ABOUTこの記事をかいた人

30代・1児のワーキングママ。 同年代の主人、もうすぐ2歳になる息子の3人暮らし。 お金・時間・仕事から自由になって、家族でしあわせなライフスタイルを送る!と決めて、たまひろライフを運営しています。 相当の人見知り。趣味は読書とパソコン。